東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その2

高 啓(こうひらく)

2014年03月07日 01:15

 今回は、版画コースの作品から。





 臼井ゆりえ「めしどり」(えッチング、アクアチント)
 異形の鳥を静物と組み合わせて、絶妙な違和感(存在感がそのまま違和感であるような)を創りだしている作画に興味を引かれた。
 左下の作品(鳥が蒲鉾状のものに頭を突っ込んだような作品)が具象的であることによって、他の2枚の絵における「めしどり」の異形が際立つ。上の作品は「めしどり」がおでんの具として大根や竹輪と一緒に煮られているかのようでもあり、おでん汁の湯に浸かっているかのようでもある。






 ささきえり「The Sun」(えッチング、アクアチント)
 この作者の作品にはシンメトリーな世界への拘りが見て取れる。いや、世界はシンメトリーなものとして存在し、それゆえにおどろおどろしい根源性をもつものであるかのように感受されている。ここに掲載していない「Wheel of Fortune」及び「Death」は、まさにシンメトリーな構図を正面から世界そのもののように描いた作品だった。
 ここに掲載した作品でだけ、シンメトリーな世界が幼な児を抱く者の仮面(=顔)となって部分化され、しかも斜めに描かれている。幼な児は聖職者に抱かれて洗礼を受け、シンメトリーな世界に取り込まれてその生存を保証されることになる・・・とでも言いたげであるが、鑑賞者は同時にその世界観が対象化(つまり部分化あるいは相対化)される現場に立ち会っているのでもある。






 畑まどか「ジャミング」(スクリーンプリント)
 筆で殴り書きした油彩のようなタッチに見えて、画像では見えにくいが背景の薄い灰色が布の質感をうまく引き出している。ジャミングという題名そのもののような乱れの構図が、シルクスクリーンの技法によってむしろ静ひつな世界を表現している。





 平野有花「静厳」(木版画)
 水性と油性の色材によって刷られた木版画であるが、これが木版画だとは、言われてみなければ判別できない。赤い点などは、作品に打ち込まれた金属性の鋲の頭のようにも見える。
 抽象画としての構成は格別新鮮なものとはいえないだろうが、木版画であることによって油彩などによる同様の構成の絵画とはまったく異なる質感を受け取ることができる。





 続いて、彫刻のコースから。






 瀬戸志保「永遠にあなたの名を呼ぶ」(大理石、ガラス)
 細かな砂利が敷かれている大地を歩きまわる不気味な生物のような大理石のオブジェ。布を被った動物のようでいて、「あなた」の喪失に堪えられずに具象的な身体を溶けさせてしまった人間の、変わり果てた姿のようにも見える。






 田中智可子「金魚」(髪)
 黒髪を編み込んで構成した金魚の胴体のきっちり感と、尾を構成する長髪の乱れ感が対照的。とくに尾の乱れた髪の感じがなんともいまわしい。そのいまわしさは、たとえば誤って飲み込んだ髪の毛が腔内に貼りついているような感じである。髪は人間の頭に着いているからこそ髪であり、美しく感じたり触れても許容できたりするものだが、このように作品の素材となった途端に“死んだ身体の一部”という感触をもたらし、け□れたものに思われてくる。死んだ人間の身体の一部で金魚という生き物を造形しようとする意図に思いを寄せると、これが単純な作品には留まらなくなる。


 次回は洋画コースの作品について。




 

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