連休を利用して上京した。
例によって、丸の内のOAZOの「つばめキッチン」でハンブルグステーキを食べ、徐に上野の国立西洋美術館へ行って「ムンク展」を観る。
この展覧会の題名は「Edvard Munch 〜The Decorative Projects〜」というもの。ムンクの「『装飾画家』としての軌跡を辿れる」企画となっていて、なかなか興味深かった。
これまでもどこかでムンクの作品は観ていたはずだが、有名な『叫び』の他には『マドンナ』くらいしか記憶になかった。(この展には『叫び』は展示されていない。)
『叫び』の印象があまりに強いので、「愛」「死」「不安」をテーマとした「生命のフリーズ」とか、ドイツ表現主義とか、そんな言葉から受けるイメージはなんとなく以前から抱いていたような気がするが、この企画展には、個人邸、小劇場、大学の講堂、工場の食堂、市庁舎などの壁画とすることを企図して製作された作品や習作、スケッチなどが展示されていて、これまでとはちょっと違ったムンクを覘くことができた。
その印象を記すと、ムンクの「装飾画家」という側面というよりも、むしろ「構成画家」としての側面を見て、生命の「不安」ならぬ、この人物の“絵画作家としての不安”を観るような気がしたのである。
ひとつの絵画作品は作家によって区切られた四角の画面に構成されている。この構成をどうするかに作家は自分の想像力のすべてを注ぎ込む。だが、その創出力や着想力はつねに満足がいくようなものとして漲っているわけではない。
また、一旦創出してしまった構成(力)は、作家自身に類似したパターンの使用を禁じる。つまり世界を構成すればするほど、その作品は自分から構成(力)の余地を奪っていく。
そこに引き入れられるのは散文的物語性である。
<構成>が、自らを唯一性や全体性としてではなく構成“要素”としていく道、つまり<装飾>へと変容しなければならないのはここに必然があるからかもしれない。
泊まりは八重洲北口の「ホテル・メトロポリタン丸の内」。
八重洲北口に隣接しているのに「丸の内」という名を付けている。「ホテル・メトロポリタン八重洲」ではぱっとしないか・・・
普通に予約すればけっこう高いのだろうが、「びゅう」のパックで列車のチケットと一緒にだと安かった。
内装はやや高級でシックなビジネス・ホテルという感じだが、デスクに電車の模型が置いてあるのがいかにもJRらしいおしゃれだ。と同時に、男性ビジネスマンの受けを狙う意図が見え透く・・・。
個人的にはベッドがもう少し低くあってほしい。また、デスク用の椅子は座りやすいのだが、リクライニングが固定できず背に寄りかかれない。エレベータの位置が分りにくい・・・などの不都合を感じた。
また、このときは会津の観光協会かどこかとキャンペーンで連携し、部屋に発泡日本酒とつまみを用意し、さらにくじ引きで会津の商品をプレゼントしていた。なかなか洒落た企画だと思ったが、発泡酒は甘たるくて飲めなかった。
籤の方は、じぶんは3等を引き当て、菓子箱みたいなものをもらったが、結構重いのでこれは自宅まで持ち歩くのに値するものかどうかと思い、フロントにその中身がなんなのかを聞いたが、彼らは「私たちが伺っているのは会津のブランド品ということだけで・・・」と、書類を調べても分らないのだった。
結局、翌日宇都宮経由で帰宅するまで持って歩き、開けてみると、蕎麦一束、蕎麦茶一袋、ドレッシング一瓶、米(コシヒカリ)500g、カリントウ一袋の詰め合わせだった。“ブランド”というより商品の“ブレンド”?・・・合せて2,000円くらいか。カリントウはすぐ食べてみたが美味かった。感謝。
写真の最後は、例によって(?)東京のビルの海に昇る朝日・・・。
高いところに泊まると、なぜかこの時刻に目が覚めてしまう。