2004年05月15日

唐組『津波』(花園神社)

 劇団唐組公演『津波』(作・演出/唐十郎)を新宿・花園神社で観ました。
 状況劇場の紅テント以来、十数年ぶり。使い込まれた紅テントも唐も健在でした。

 これまで紅テントを観たのは、たしか4度・・・『住み込みの女』『鉛の心臓』『黄金バット』『新・二都物語』。でも、唐組になってからは初めてだった。

 唐の芝居は、過去が不断に現在を脅かし、と同時に過去へのこだわりが現在を潜って未来(のようにみえる過去あるいは過去のようにみえる未来)へと、登場人物を鷲掴みにして連れ去る・・というように、過去・現在・未来が、一連の不可分な世界として創出されている。これは唐の芝居の永遠のパターンで、あとはさまざま仕掛けがその趣向を色付けするというものだ。

 おもわず膝を叩いてしまったのは、唐の芝居に欠かせない冠りものや背負いものだ。和式便器を繋げて恐竜の骨格のように見せた「ノーチラス号」は出色の出来。前にリアカーの引き手のようなものが付いているのがたまらない。

 ヒロインの<照屋照>が柳行李に入った陶器のかけらを踏み足から流す自らの血で、陶器の便器の欠片を張り付けようとするシーンは、まさしく舞台写真にもってこいな、いわば唐流の見栄を切った場面だ。
 それは、なぜか李礼仙の姿を彷彿とさせる・・・・。

 舞台に大きな水槽が持ち出されて、便器を抱えた唐が飛込み、まわりを囲んだ登場人物たちが、1、2、3、・・・とカウントしていくのも、「いよっ! 千両役者!」と座長に声をかけさせるようなお決まりのシーン。
 私が演出なら、あのまま暗転では終わらせないで、照明係がミスったように見せ掛けて、唐が暗転したと思ってアップッ!と息をしに顔を出した一瞬にライトを当てる・・・。

 ひとつ文句をつければ、中心的な役を演じる役者に、男優にひとり、女優にひとり、唐の芝居の連射砲のような台詞に活舌がいまひとつついていかないものがいて、客としては少し心配というか気になってしまったことだ。
 それから、まぁ、これは先の長いテント公演を考えればしようがないことかもしれないが、全身全霊のエネルギーを注ぎ込んでいないように見える役者も目に付いた。ようするに汗が飛び散ってくるような迫力がないのだ。
 もっとも、それは客がそんな客だからだ・・・と言われそうな気もするのだが。

 この公演は5月21日〜23日まで、東池袋の雑司ヶ谷・鬼子母神境内でもかけられる。こらがまた、なかなかいい場所だ。
 6月26・27日は仙台へも来る。

 こんどはぜひ山形に来てほしい。

 では、また。



















 
 

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Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:19│Comments(0)劇評
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