2007年10月06日

新詩集「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」

新詩集「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」 新詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田)を上梓しました。
 これは、2001年発行の『母のない子は日に一度死ぬ』(書肆犀)、2004年発行の『母を消す日』(書肆山田)に続く三冊目の詩集です。

 装画は百田智行さん、印刷は内外文字印刷・石塚印刷による活版印刷(!)、製本は山本製本所です。
 さすが書肆山田!という作りです。


 私自身が書いた紹介用の文は、以下のとおり。

 少年痔主、黒い犬、似非メニエル氏病者、インチキゲンチュア、必殺仕送り人、骨髄ドナーが走り回り、モン、タイ、水の女、木の女、石の女と絡み合う・・・
 凡庸なる人生の、けれど少しだけ切なげな影たちの物語り。


 製作者が書いた帯文は、詩作品から数箇所表現を抜き出して再構成したもので、以下のとおり。

 日々を生きることは憂鬱であり快楽である―初手から世界にきみの場所はないのだと、厳寒の海も真夏の海峡もぼくを誘うが、胸が張り裂け息絶え絶えになれば少しは世界に手が届くような気がして、ちいさく息をのみ、木舟を推すことにする。なにがあっても行く・・・なにかよくわからない繋がりが影を帯びるようだ・・・戯れに名を呼んでみる―日々を生きることは快楽であり快楽である

 私の紹介文は、芝居か戯曲の宣伝コピーのようですね。
 製作者の帯文はコラージュですが、これは一篇の詩作品のようにも読めます。こちらの方が現代詩の「詩集」だなぁという感じがします。
 でも、私はこの詩集を、詩人や詩の愛好者より、普段は詩など関心がないという方のほうにより読んでいただきたいと思います。いわゆる「詩人」には受け付けられない(かもしれない)理解できない(かもしれない)作品です。

 お求めは、首都圏などの大きな書店(「ジュンク堂」「紀伊国屋」など詩書コーナーがある書店)では置いていただいていると思いますが、最寄の書店へ注文いただくか、インターネット書店へどうぞ。
 「クロネコヤマトのブックサービス」「amazon.co.jp」「セブンアンドワイ」「ビーケーワン」などで取り扱われています。(2007年10月6日現在)(ちなみに私は普段「ビーケーワン」を利用し、コンビニで支払いしています。)

 なお、これらのインターネット書店では第二詩集の『母を消す日』(2005年度H氏賞最終決選投票で落選)も扱っています。
 第一詩集『母のない子は日に一度死ぬ』は書店では扱われていません。
 上記三冊について、私から直接お求めになりたい方はメールをください。郵便振込み用紙をお送りします。消費税はいただきません。送料はこちらで負担します。

 この詩集に収録された作品についての解題や用語解説など、これからぼちぼちとアップしていきたいと思います。
 なお、この詩集は、用語の意味やオマージュや引用元や言及先の作者や作品が何かぜんぜん分からなくても、作品として伝えるべきことはしっかり伝えられるように書かれています。


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:22│Comments(0)作品情報
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