2008年09月13日

長重之展&栃木県立美術館

長重之展&栃木県立美術館


 また宇都宮を訪れたついでに、栃木県立美術館で、長重之展「時空のパッセージ」を観た。

 長重之は、1935年東京・日暮里生まれ。9歳のとき父親の故郷である足利に疎開し、以来、現在まで足利に住み続けて創作活動を行っている。
 独学で絵画の制作を始め、1962年、読売アンデパンダン展に、火夫に見立てた油彩の自画像を出品してデビューした。
 1968年、カンヴァス地に巨大なポケットを縫い付けた作品<ピックポケット’68>を発表し、そのヴァリアントによるシリーズを、少なくても1999年まで製作し続ける。
 また、1978年にはパズルのような形のプレートを組み合わせた作品<視床−1>を発表し、このシリーズも少なくても1980年代の終わりまで製作し続ける。
 他に、“如何にも70年代”といった印象のイベント<ロードワーク>や、自らの身体を使ったパフォーマンス<アタッチメント>などを展開しつつ、今日に至っている。



 長作品のなかで、私がもっとも惹かれたのは、その初期(50〜60年代)に製作された油彩である。
 この時期の油彩には、大きくわけて三種類の作品群がある。
 まず、長自身がガス会社のボイラーマンをやっていたことから「火夫」と名づけられた一連の作品群。それは口から赤い火を吐く造形である場合と、暗闇から姿をあらわすロボットともゴリラとも骸骨ともとれる造形である場合との二種類あるのだが。
 次に、精神病院の看護助手として働いた体験から製作された「看護人」という一連の作品群。こちらは精神科病棟を上から、または横から描いたかのような“箱”によって構成されている。
 そして、後の「ピックポケット」の前哨でもあるかのような造形の「ポケット」と名づけられた一連の作品群がある。見ようによっては、油彩の「ポケット」は、「看護人」における画面構成を踏襲し、しかしその内部的な意味を転換させた作品であるかのようにも思われる。



長重之展&栃木県立美術館

 長の回顧展を観て、いちばん書いておかなければならないことは、やはり一連の<ピックポケット>作品についてだろうと思う。
 1967年に油彩として初めて発表された<ピックポケット>は、1968年にはカンヴァス地に巨大なポケットを縫い付けた作品として発表され、その後いくつものヴァリアントが製作・発表される。
 そして、1997年になると、この<ピックポケット>のモティーフは、今度は「ピックポケット<閉じ込められないもの>」という透明なビニールのポケットの作品群として姿を表す。
 これはカンヴァスを張る木枠を土台にして、それに写真や物や文章のコピーを配置し、その全体をビニールのポケットに入れた作品である。(展覧会のチラシの表面の写真参照)
 ビニールポケットの中に収められたそれらのモノは、家紋、古銭、大福帳みたいな控え、古地図、外国の国旗、年代ものの野球道具、外国の偉人の写真、先祖の写真、家族の写真、作者自身の写真などなどである。
 一見して、このポケットに収められたものが、<歴史>(近世・近代における世界と日本の関係史)と<一族の歴史>と<家族及び自分の歴史>という三つの系統とその混淆で歴史の流れを物語ろうとしているということが伝わってくる。

 この回顧展のために作成されたパンフレットを読むと、長重之は足利の名家である長家の家督を祖父から引き継いだのだという。
 引き継いだのは祖父の遺産であるとともに、古くからの血縁や地縁、つまり<足利>という関係性でもあった。
 これらは「閉じ込められないもの」とされているが、それをビニールとはいえ、ポケット収め、いわば“閉じ込めて”提出してみせるという手法が、かれのアンビバレントな想いを表しているようにも見える。


 平日の正午過ぎ、観客はほとんど私一人だったので、じっくり長重之展を観て歩いた。
一息つこうと館内の喫茶店に立ち寄ってコーヒーを飲み、さて、今度はこの美術館の収蔵品展へ回ろうかと席を立ったところで、「どちらから?」と人に話しかけられた。
 それが長重之さんご本人だった。
 長さんは、私がメモをとりながらじっくり観てまわっているのを見かけ、少しは美術が分る人間かと思って話しかけてきたようだった。テーブルに腰掛け直して、少し話をした。
 名刺をもらったので、私も、気恥ずかしいがしょうがなく「詩人・高啓」の名刺を差し上げた。
私は、「ピックポケット<閉じ込められないもの>」について、上に書いたような感想を述べ、長さんは今までの表現活動について話した。
 私は「足利」と聞くと詩人では石原吉郎を思い出すと言ったが、彼は知らないようだった。
 彼は私が山形から来たと聞いて、この美術館のキュレーターの山本さんも山形出身だと言った。その山本さんは、今、すぐ隣のテーブルに座っている人だという。山本さんは、売り込みに来た(?)美術家と話し、その人の作品のポートフォリオをパソコン画面で見ながら質問を浴びせていた。
 長さんは、ショップから展覧会のパンフを調達してきて、それを私にくださった。(私はお返しに帰形後『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』を郵送した。)
 それで、私は、「じつは、私は、マインドは演劇畑の出自なもので、美術家のやるパフォーマンスはみんなどうしようもなく幼稚に見えるんです・・・」と喉まで出かかかった言葉を飲み込んだ。

 
 さて、栃木県立美術館の収蔵品展「コレクション企画? 出会いに始まるものがたり」も、なかなか印象的だった。
 とくに柄澤斎(1950〜)の1970年代の木口木版画やリーヴァル・オブジェと呼ばれるコラージュ作品、古田土雅堂(こたとがどう)(1880〜1954)の1920年代の油彩、そして篠原有司男の迫力あるバイクのダンボール彫刻「モーターサイクル・ママ」(1973年)などに惹きつけられた。

 それから、「伊藤直子 マイセン磁気コレクション」というコーナーもあった。
 この種のものには関心がなかったが、ついでに、と立ち寄ると、へぇ〜と目からウロコ。
 ヨハン・アヒム・ケンドラーによる1770年代の原型を元に19世紀後半に製作されたという水注を見て、マイセン磁器についての先入観を覆された。かなりエログロというか、アングラっぽいというか・・・。もっとも、あまり近づきたくない世界ではある。(笑)                                                                                                                                                                                                                  




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Posted by 高 啓(こうひらく) at 12:44│Comments(0)美術展
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