2009年08月16日

「山形詩人」第66号ほか

「山形詩人」第66号ほか


 最近、モンテディオ山形に関わることばかりで、『詩と批評』の名にそぐわない内容になっている。そこで、申し訳に、久しぶりに詩に関することを・・・・。

 8月20日付けで『山形詩人』第66号が発行された。
 高啓は、この号に詩「噛む男」を発表している。
 また、65号は欠稿したが、2009年2月発行の64号には、詩「逆さ蛍(その二)」を発表している。
 ついでに、じぶんの作品について紹介しておくと、2009年7月発行の『coto』第18号に、「似非ブログ欺罔日記(09年春雨篇)」という短い散文を寄稿している。
 (『山形詩人』は、バックナンバーを含めて手元に残部があるので、希望の方はこのブログの右側の「オーナーへのメッセージ」からメールでご連絡いただきたい。1冊500円。送料は当方負担。)


「山形詩人」第66号ほか


 このほか、贈呈された詩集などについて。

 築山登美夫 詩集『悪い神』(七月堂)。
 『coto』に寄稿している関係で、じぶんに贈呈いただいたものと思う。
 “フランス綴じ”というのか、ペーパーナイフで袋になった頁の横と下を切り離しながら読み進む綴り方である。
 詩から受ける印象は、いかにも60年代後半に青春を過ごした世代の作品だなぁという感じ。
 隠喩や換喩、そして呼び掛けの語彙が力とリズムをもっている。しかし、この詩集のことばたちがもっているリズムを、ペーパーナイフで切るという手間が損なっているような気がする。装丁自体としては素敵だが、内容とマッチしているかは疑問。
 






「山形詩人」第66号ほか


 長津功三良 詩集『飛ぶ』(コールサック社)
 都市銀行を退職して、山村生活を送りながら詩作に取り組んでいる作者の姿が、だいぶ直截的に描かれている。じぶんも退職したらこんな詩を書くのかなぁと思わないでもないが、たぶん、現役世代は、多少とも“いい気なものだなぁ”という感想を抱くだろう。
 我々以降の世代は、もはやこんな老後を想像できない。じぶんより若い現役世代に、じぶんのモチーフをどう伝えたらいいか・・・これは、仕事をリタイアした詩人にとって、普遍的な課題であるだろう。










「山形詩人」第66号ほか


 金太中 詩集『高麗晴れ』(思潮社)
 詩集をいただくまでお名前を存じ上げなかったが、北海道で会社を経営していた在日韓国人または在日朝鮮人の方のようである。
 歩んできた人生の奥行きを感じさせる作品たちである。













「山形詩人」第66号ほか


 万里小路譲 詩集『マルティバース』(書肆犀)
 万里小路氏は『山形詩人』の同人。『山形詩人』には、もっぱら詩に関する批評文を寄稿し、詩作品は、自身が発行していた一枚誌『てん』や、『詩と思想』『詩学』などに寄稿してきた。それらの作品を纏めたものが、この詩集。
 「ユニバース」に対する「マルチバース」という詩の世界。たしかに多彩であり、この人は、毎晩のように机に向かって作品を創るのだろうな・・・そんなことを思わせる。ライトバース調の言葉遣いで、様々な事柄(読書や音楽)に反応するようにして作品が生み出されている。









「山形詩人」第66号ほか


 山本博堂 詩集『ボイシャキ・メラ』(書肆山田)
 これは、旅行記を詩にした作品集である。
 昔、選挙用のパンフレットや機関紙には、絶対に海外視察の話や写真を使うなと、古参の選挙参謀から教えられたのを思い出す。
 この手の話には、旅行した本人には観取できない厭味があるものだが、この詩集には、それほど感じない。この人が、“見て通り過ぎる”ということに習熟しているからだろうか。少なくても、詩という形式で書くということが、この人の場合は、その厭味を和らげ得ているとはいえるだろう。









「山形詩人」第66号ほか

 
 大場義宏 『「食わんにゃぐなれば、ホイドすれば宜いんだから!」考』(書肆山田)
  「わが黒田喜夫論ノート」と副題がつけられている。
  『山形詩人』に連載された黒田喜夫をめぐる文章の集大成としての426ページ。
 以前、真壁仁に関する高啓の論文に対して大場氏に論難を吹っかけられ、これに反論するために『山形詩人』に連載された同氏の文章を読んだが、黒田喜夫論といえる内容はほとんど存在しなかった。
 黒田が論争した相手や、自分が気に食わない相手を持ち出して、それにぐじゅぐじゅぐじゅぐじゅ難癖を付けることで、黒田を論じたつもりになっている。なにより、黒田の詩が扱われていないのは、黒田論として決定的な欠落である。
 近代化されたこの社会を呪詛する前に、近代化される前のムラやイエを振り返ってみよと言いたい。この人は、私よりずいぶん年上だが、そのような世界で息をしてきたことがないのであろう。
 ちなみに、大場氏は、『山形詩人』第58号の高啓論文「他者非難によるデッサン法の不毛について」における反批判に対し、いまだに何の返答もしていない。               

 黒田喜夫の詩は、黒田自身の書いた散文の方向性だけで解釈されるべきではない。
                                                                                                                                                                   
 

                                                                                                                                                                                                                                       






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Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:46│Comments(0)作品評
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