2023年03月10日

軽部謙介著 『アフター・アベノミクス』




 軽部謙介著『アフター・アベノミクス―異形の経済政策はいかに変質したのか』(岩波新書・2022年12月刊)を読んだ。

 第二次安倍政権によって「異次元金融緩和」として始められた「アベノミクス」が「物価上昇率2%」という目標を達成できないまま、金融政策から「タガの外れた」財政出動へと変質していく過程が、日銀、財務省、自民党それぞれについて克明に描かれている。
 興味深く読んだのは、日銀内の「リフレ派」対「非リフレ派」の勢力争い。そして財務省内の財政規律の基本方針を巡る動き、すなわち「財政収支均衡」から「プライマリーバランス(PB)黒字化」へ目標を変更しようとする動きと、それがストップをかけられる過程の描写である。
また、日銀が急激な円安に対処するため長期金利の変動幅を拡大したことを「ステルス利上げ」としているところなど、利上げをしようにもできない事の深刻さを伝えてくる。
 本書は、関係者の動きを追うジャーナリスティックな著作ではあるが、じぶんのような金融政策に昏い者に金融政策や日銀の在りようを分かり易く説く解説書の役割も果たしている。

(註)「財政収支均衡」とは、政策的経費と国債の利払い費を税収で賄える状態。国債発行残高は増えない。(減りもしないが。) 「PB黒字化」とは、政策的経費は税収で賄えるが過去の国債の利払い費はさらなる国債の発行で賄うという状態。(国債残高は増え続ける。) なお、2022年度末の国債残高は1,029兆円。2023年度の予算額は過去最高となり「PB黒字化」さえ遥かに遠のいている。

 さて、ここで本書の内容紹介から少し外れる。
 国債を日銀が直接購入することは「財政ファイナンス」として禁じ手にされている。
 しかし、国債をいったんは民間銀行に購入させて、それを日銀が買い取るというオペレーションが際限もなく(まさに「異次元」の有り体で)続けられているのがいまの「アベノミクス」下の日本である。ようするに日銀券が政府からバラマキされている。これは「金融政策」の仮面を纏った「異次元の」「財政出動政策」である。
 この異常事態を合理化するのが、今や右は「自民党」支持者の一部から左は「れいわ新選組」支持者の一部までが嬉々として唱える「MMT」(近代貨幣理論)である。
端的に言えば、MMTとは、自国の通貨建てで国債を発行する限り、どんなに国債を発行しても国家はその返済に充てる貨幣を発行できる(つまり印刷すればいい)のだから債務不履行は起きないという理論だ。
じぶんには、これは〝理論〟というより〝信仰〟に見える。
 MMTは通貨を発行する<国家>の存在(それも確固たる国家)を前提にしている。
 また、財政出動の規律は、インフレーションの度合いに掛かっているとする。つまり、通貨の発行量が増えすぎてインフレが起こるが、そのインフレの程度がひどくなったときに通貨量を減らせばいいというものだ。
 われわれの「日本」という国家がいつまで確固たるものか、昨今のこの国の劣化(政治・経済・官僚機構・マスコミ等々の劣化)を見せられると、その破局の蓋然性は、30年以内に起きる確率が70~80%といわれている「南海トラフ巨大地震」かそれ以上に大きいと思われてくる。
 しかしそれ以前に、「タガが外れた財政出動」を止めようとしたとき、それが止められるのかという問題がある。増税を掲げる政治勢力、あるいは財政出動をそれなりに絞ろうとする政治勢力は選挙で敗北することが予想される。
 敗北する事がわかっていてそれをやろうとする政治勢力が現れるか。現れたとしても選挙で勢力を伸ばすことは叶わないだろう。ポピュリズムに傾斜した今の日本で肥大化した「財政出動」を絞ることなど、そもそもできそうにない。
 かように「アベノミクス」の罪は深い。「アベ政治」(というより「アベ的なるもの」あるいは「アベ族」と言うべきか)は何から何まで劣化させてしまった。
 いまや国債という「点滴」で生きているような<国家>が、強大かつ広大な隣国に「敵基地攻撃用ミサイル」を撃とうというのである。「アタマの中がお花畑」とはまさにこういうことを言うのだろう。
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 10:54Comments(0)作品評