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2011年09月17日

大急ぎ 知床行 (その3)



 【第3日(月)】

 この日もまた大急ぎの行程を組んでいた。
 6:30ころ起床。7:00に宿舎の広間で、地元産の温野菜(ジャガイモとニンジンとブロッコリー)が中心の朝食。普段は食パン1枚に牛乳1杯の朝食だが、箸が進んでご飯を2膳いただく。
 それから、カウンターでウトロ温泉バスターミナルまでの送迎を頼むと、職員が「今日は船に乗るんですよね? この天気なので、今日は条件付運航になりますよ。」と話かけてきた。
 この日は、「ゴジラ岩観光」という会社の観光遊覧船に乗って、知床半島を海から見物する予定だった。「条件付運航」というのは、海が荒れそうな場合、船長の判断で予定のコースの途中でも引き返すこと、そしてそれを了承した者だけを乗船させるという意味だった。
 紀伊半島などに大きな被害を与えた台風12号が北海道に近づき、前の晩から風雨が始まっていた。危険だと判断されたら引き返すことは当然了解の上だった。
 なにしろ、じぶんは船酔いがひどく怖い人間である。これまで厳冬期の荒れた津軽海峡を何度も青函連絡船で渡ったり、石垣島から西表島まで東シナ海のうねる海原を小さな連絡船で往復したり、釣り船で沖に出て釣りをしたりしたことなどはあり、それでもゲーゲー吐くほど気分が悪くなった経験はないのだが、何故かひどく船酔い恐怖症なのだ。
 それで、知床半島の突端までいく3時間のコース、ヒグマを観察する2時間のコース、途中の硫黄山まで往復する1時間のコースという3つのうち、一番短時間の硫黄山コース(3,000円)に申し込んでいたというわけである。

 「国民宿舎・桂田」の送迎で、10時前には「ゴジラ岩観光」の事務所に到着した。
 10:30の出航時間まで、事務所のなかに置かれていた知床の海洋生物の写真集を見た。写真家の名前は記憶しなかったが、これが素晴しい写真集で、この北の海がこんなに豊かなのかと驚かされた。どうりでこの知床が、世界遺産としてその半島の沿岸の海の区域を含めて認定されているわけである。
 観光客たちが窓口でレンタルの雨具を借りるのを尻目に、じぶんは持参したゴアテックスの登山用雨具を着用して、登山用のツバのついた帽子を被った。
 時間が来ると、この便の乗客30数人は事務所の職員の先導ですぐ近くのウトロ港まで歩かされる。その途中にそそり立つのが、まさにゴジラそっくりの「ゴジラ岩」である。

 台風が接近する状況だったが、以外にも海は凪いでいた。雨も弱かった。
 半島の岩壁の変化に富んだ造形と、そこから流れる「フレペの滝」「湯の華の滝」「カムイワッカの滝」など岩肌から流れ落ちる滝を観ながら、最果ての自然景観の一端を垣間見た。
 意外だったのは漁業用の網の仕掛けと思われるブイが沿岸のあちこちに浮いていたことだった。
 環境省のHPで知床国立公園の区域図を見ると、沿岸の海域は国立公園の普通地域になっている。世界遺産の地で、自然保護と漁業の調整はうまくいっているのか・・・そんなことを考えながら、潮風に吹かれていた。
 この生憎の天気で、半島の中心部に連なる硫黄山など知床の山々の姿は見られなかったが、むしろこのように昏い半島の表情こそがこの風光の表象として(あるいはこの地に関する自分の記憶として)相応しいような気がした。
 下船すると時刻は11:30を回っていた。
 ウトロ温泉街の中心の信号機からバスターミナルの方向へ歩き出し、すぐ近くの「ボンズホーム」という店で昼食をとることにした。いくつかのガイドブックに紹介されているジャガイモのグラタンの店である。甘いジャガイモを「栗じゃが芋」と名づけて販売している。
 じぶんはジャガイモがそれほど好物ではないので、カレーにした。味は良かったが、ご飯にカレーがあっさりしかかかっていない。この店の主人が「ボンさん」という渾名らしい。カウンターには、客に心情移入することがなさそうな感じがして、そこが“美人”にみえる魅力的な奥さんがいる。
 珈琲をゆっくり味わいたいところだったが、注文の品が出てくるのが遅くて、バスの発車時刻が迫ってきた。この日のうちに札幌まで戻る予定だったが、急に思い立って知床五湖に立ち寄ることにしたのだ。大急ぎで珈琲を流し込んで、バスターミナルに向かう。
 知床五湖行きのバスは12:30発だった。バスはプユニ岬の上り坂をぜいぜいと越えて、25分ほどで知床五湖に着いた。




 知床五湖フィールドハウスの駐車場には、観光バスの団体客が大勢押しかけている。雨は本降りになり、横殴りの風も吹いてきたが、団体の観光客たちは傘や携帯のビニール合羽程度の井出達で、ずぶ濡れになりながらバスガイドや添乗員に引率されて高架木道を歩いていく。
 じぶんは14:00のバスでトンボ返りしなければならない。それで、レクチャーを受けてからでないと入れない地上歩道の散策は断念し、観光客に混じって無料で誰でも自由に入れる高架木道を歩き始めた。狭い歩道を帰ってくる観光客(彼らは風雨に向けて傘をさしているので前方を見ていない)を避けるのに神経を使いながら、それでも800mほど高架木道の先端まで歩いた。
 高架木道の外側には、ちょうど“ネズミ返し”のような塩梅にヒグマ避けの電線が張られている。木造の高架橋ではあるが、いかにも頑丈な造りで、ハイヒールでも車椅子でも歩けるように設えられている。年間約50万人が訪れるという観光地だそうだから、こんな施設も必要にはなるだろう。(「知床五湖」利用のルールについてはhttp://www.goko.go.jp/rule.htmlを参照のこと)
 自然保護と観光とのバランス、それにヒグマ出没の危険(というよりもヒグマ出没による「立入り禁止」措置の危険か)を考えて、いろいろ知恵を絞ったところだろうが、その議論の過程は「知床五湖利用のあり方協議会」のサイトhttp://dc.shiretoko-whc.com/meeting/5ko.htmlで垣間見ることができる。
 「世界自然遺産」というネームバリューを得たのだから、多くの観光客を招いて経済効果を得ようとするのはわかる。しかし、訪ねてみるとまさにカッコつきの観光地“過ぎる”印象ではある。
 上記の協議会も、自然保護団体や自然保護の専門家や学識経験者の参加がなく、もっぱら利用者・観光業者の立場のメンバーによる構成である。もし山形県でこの種の協議会を立ち上げることになったら、こんなメンバー構成では通用しないだろう。
 この方策を支持できるとしたら、観光客を「知床五湖」で堰き止めて、これより深い場所に入れないようにすることと、ここであがる収入を自然保護に効果的に活用することが条件になると思われる。
 なお、参考まで、月山山麓のブナの森にある山形県立自然博物園の場合は、歩道への踏圧や周囲への影響を考えて、年間の入場者数を3万人程度に抑えていたと思う。
 
 さて、この旅では交通機関の乗継の心配が頭から離れない。焦る気持ちを抑えながら14:00知床五湖発、15:10斜里バスターミナル着のバスに飛び乗った。知床斜里駅を15:20に発つ列車に乗らないと、今日中に札幌に着くことはできなくなるのだ。
 バスはウトロ温泉バスターミナルから何人かの高齢者を乗せ、彼らを「オシンコシンの滝」のバス停で下ろした。高齢者たちの動作は遅く、しかも観光気分でのんびりと行動しているので、10分しか乗り継ぎ時間がないことが気になってくる。斜里からウトロに来るときは極めて順調に走って50分だった。だがこの調子では、50分で戻れるか危うい。途中でさらに乗降客がいたり、ちょっとでも通行障害があったりすると、15:20発の列車に間に合わないのだ。
 だが、結果的にはここでもうまく乗り継ぐことができた。バスは例によって朱円の一本道を順調に走り、定刻に数分ほどの余裕をもって斜里駅前のバスターミナルに到着した。それに列車も斜里駅発のようだった。北海道はさすがに観光立国だわ・・・と、札幌弁風にこのときは思った。
 



 釧網本線の普通列車は、右手にオホーツク海を見ながらたんたんと走る。だが、車窓には廃屋が目立つ。左手の牧草地ではサラブレッドが草を食んでいるが、期待していた清水原生花園は雨で霞み、季節外れなのか花たちの姿を見つけることはできない。
 ザックから例の「初孫」紙パックを取り出し、コップに半分ほど注いだ酒をちびりながら薄暗い雨の海を眺めている。冬にはこの区間に「流氷ノロッコ号」が走るのだろう。鱒浦から網走港にかかるあたりで、この旅で初めて“旅情”というようなものが腹の底から微かに湧いてくるのを感じた。
 こうして列車は16:07に網走駅に到着した。17:18網走発の「特急オホーツク8号」までの待ち時間にどこかでビールでも引っかけようかと駅前を眺めたが、駅前にはただ線路と平行な道路が一本通っているだけで、ビルやホテルはあるが、飲食店どころか商店の看板の影さえ見えない。仕方なく駅の待合室で「なでしこジャパン」のオリンピック予選である北朝鮮戦の前半を観戦。そして、そこにあった売店から駅弁の「シャケいくら弁当」(1,150円)を買い込み、「特急オホーツク」の中で早めの夕食とすることにした。
 売店の親爺は怒っているように見えるほどハキハキと喋る人で、注文を取ってから駅の外にある厨房に携帯から連絡を入れて弁当を作らせ、それを発車時刻まで届けさせるのだった。あの「ボンズホーム」のママとこの売店の親爺の風貌は、なぜか旅の印象に残っている。
 ところで、この「シャケいくら弁当」だが、開けてみるとシャケの解し身がたっぷりで、中央にイクラも少なからず盛り込まれていた。それで見た目は感激するのだが、食べ始めると極めて塩っぱい。この塩っぱさは半端でなく、途中で日本酒の肴にと気分を切り替えたのではあるが、それでも食べているうちに気持ち悪くなるほどだった。
 車窓はすっかり暗くなっている。「特急オホーツク」は、石北本線を順調に走る・・・かのように思われた瞬間、真っ暗な区間に突然停車した。車内アナウンスでは、「エゾシカに追突しました」という。
 しばらく停車し、その後、客車の通路を車掌がはぁはぁ言いながら走っていってから、やがて列車は走り始めた。

 片山虎之介著『ゆったり鉄道の旅(1)北海道』(2006年・山と渓谷社)から引用してみたい。

 「もうひとつ、石北本線で忘れてならないのは定紋トンネルのことだ。北海道の鉄道は、石北本線に限らず、その敷設工事に多くの犠牲者が出ている。特に悲惨なのは、『タコ』と呼ばれた労働者たちだ。都会など他地域からほとんど騙されるようにして工事現場に連れてこられた労働者たちは、タコ部屋と呼ばれた監獄同然の部屋に押し込まれ、囚人に等しい監視を受けながら強制的に働かされた。過酷な労働に虚弱な者は落命し、脱走を企てたもの(ママ)は捕らえられ、見せしめのために撲殺されたという。激動の時代だったとはいえ、悲しい歴史だ。昭和45年に生田原―金華間にある定紋トンネルで、レンガで覆われた内壁の中から、人柱にされたと思われる人骨が発見された。」

 ここでは激動の時代としか言っていないが、ウィキペディアによれば、このトンネルが開通したのは1914年(大正3年)という。
 こんなことも知らず、じぶんはひたすら今夜中にこの列車が札幌駅に滑り込んでくれることを願っていた。

 さて、22:38札幌着予定の「特急オホーツク8号」は、いくらか遅れつつもとにかく無事に札幌に辿りついてくれた。これまで人口密度の薄いところばかりを通ってきたからか、深夜の札幌駅の人混みと光量は格別で、ずいぶんと違う世界に出てきたような感じがした。この落差が北海道の困難さを表わしてもいるのだが。
 まっすぐに、予約していた駅近くの超豪華!ホテル「JRイン札幌」(7,000円)にチェックインし、とりあえずシャワーを浴びると、テレビで台風による大雨のニュースが流れた。そしてテロップで「午前中運休 函館本線・・・・」との表示が流れたのである。(が〜〜ん)
 明日中に山形に帰りつくために、9:19札幌発の「特急北斗8号」、13:56函館発の「特急スーパー白鳥34号」を乗り継いで内地に戻り、16:28新青森発の「はやて174号」で19:37に仙台まで辿りつく計画だったのである。
 とにかく詳しい情報を得て、できるなら今夜中に、明日少しでも山形に近づく列車の切符を手に入れたいと思い、ホテルを出て札幌駅に向かった。時刻はすでに0時を回っていた。
 すると、隣接する大丸デパートや駅ビルの出入り口と共通の札幌駅の入口はすでに全て施錠されていて、中の広い通路にも駅員の人影さえ見えないのだった。つい先ほど降りたった駅とはまったく別の表情で、扉にお知らせの張り紙もなく、大雨による足止め客の問合せを拒否している冷たい駅がそこにあった。JR東日本なら、大都市の駅で乗客にこんな扱いをすることはちょっと考えられない。
 致し方なく小雨の中を歩いて帰った。深夜営業の居酒屋はまだ開いていたが、明日新たに帰形の方途を見出さなければならないことを考えると入る気にならない。じつは上司に「遠くまで行くので、交通機関の関係でひょっとしたら水曜日も休みをいただくかもしれません」と断ってはきていた。だが、職場やじぶんの仕事の状況を考えると、3日連続で休みを取ることは柄にも無く憚られていたのである。
 ホテルの向いのコンビニでビールを1缶(これもサッポロクラッシック)とサラダを買い求め、部屋のテレビで「なでしこジャパン」の試合結果を観つつ、ススキノの眩さを思い浮かべながら札幌の夜を過ごしたのだった。(つづく)
                                                                                                                                                                           
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:25Comments(0)歩く、歩く、歩く、