2010年09月11日

「シャガール−ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」展







 東京藝術大学美術館で「シャガール−ロシア・アヴァンギャルドとの出会い〜交錯する夢と前衛〜」展(2010年7月3日〜10月11日)を観た。
 この展覧会は、フランスのジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センターが所蔵する作品で、マルク・シャガール(1887‐1985)の制作人生を追いながら、ロシア美術史にシャガールを位置づけようとする意図をもって企画されている。
 とくに「ロシア・アヴァンギャルド」との“出会い”を、ナターリャ・ゴンチャローワ(1881-1962)、ミハイル・ラリオーロフ(1881-1964)らの作品とともに展示することで表現しようとしている点が特色である。
 企画者は、ポンピドー国立芸術文化センターのキュレーター、アンゲラ・ランプ氏。

 時間の余裕がなくて、じっくり鑑賞することができなかったが、感じたことを以下に記す。
 なお、このブログでは、ロシア・アヴァンギャルドに関わる美術展について、過去に2回ほど記事を掲載しているので、そちらも併せて読んでいただければと思う。
 ※ 「青春のロシア・アヴァンギャルド〜シャガールからマレーヴィチまで〜」(2008年6月21日〜8月17日、Bunkamuraザ・ミュージアム)http://ch05748.kitaguni.tv/e581526.html
 ※ 「ロシアの夢 1917〜1937」(2010年4月3日〜5月9日、山形美術館)http://ch05748.kitaguni.tv/e1661560.html


 第1章 ロシアのネオ・プリミティヴィズム
 この章では、シャガールの初期ともいうべき20代前半の作品を、ナターリャ・ゴンチャローワやミハイル・ラリオーロフの1911〜1912年の作品と並べて展示している。
 シャガールは、ゴンチャローワやラリオーロフらのネオ・プリミティヴィズムの影響を受けたと言われるが、この時期の作品には、その影響がまだそれほど顕著には現れていないように見える。
 シャガールの作品で印象的なのは「死者」(1910‐1911)。全体として暗く重い色調で、屋根の上にバイオリン弾き、街の通りに死体、その脇には箒かスコップのようなものを持った男、踊るようにあるいは嘆き悲しむように両手を上げた女の姿が描かれている。それぞれの人物の顔は描かれていない。この作品では、すでに遠近法は倒置されているが、人物や動物は、まだ宙に浮かんではいない。
 ゴンチャローワの作品は、フォービズムやキュビズムの影響を受け、ロシアの伝統的なイコンやルボーク(民族版画)のモチーフを受け継いで、ネオ・プリミティヴィズムを体現しつつあった。「酒飲みたち」(1911)や「婦人と騎手たち」(1911‐1912頃)では、ロシア的な題材がフォービズム風に描かれている。
 また、組作品「刈入れ」(全9面)のうちの1面である「葡萄を搾る足」(1911)や「孔雀」(1911)では、題材がかなりデザイン化され、それゆえ彼女が抽象画へ向かう過程が看て取れる
 ラリオーロフの作品では、「春」(1912)が目を惹く。
 彼は、1912年ころから、キュビズムや未来派に立脚した「光線主義(レイヨニスム)」を創始していくと解説にあるが、この「春」に描かれた海坊主のような女性の上半身像は「光線主義」という感じではない。殴り書きされたような胸(円が描いてあるだけ)や耳飾りが印象的で、なんだかアフリカ的?あるいは棟方志功的?というような感じを受ける。
 光線主義は、物体の放つ放射状の光線に基づいて図像を分解し、あらたな抽象的形態を生み出そうとする手法。これは、本美術展の「第2章 形と光−ロシアの芸術家たちとキュビズム」に展示された彼の「女性の肖像」(1911‐1912)あたりから現れてくる。この作品では、女性の上半身(作品「春」とはまったく異なる西洋風の痩せた女性)が描かれているが、その頭部が、数学で言うところの“補助線”を引いて輪郭を構成するような手法で形象化されている。
 この線形の光線で題材を表現する手法は、1913年の「タトリンの肖像」でかなり明確になり、抽象度が高くなった1913‐1914年の「晴れた日」で完成するようにみえる。



 第2章 形と光−ロシアの芸術家たちとキュビズム
 この章で印象的なのは、なんと言ってもシャガールの「ロシアとロバとその他のものに」(1911)である。
 民族的な図柄、キュビズムの造形、そしてフォービズムの色づかいから、鮮烈な印象を受ける。
 シャガール作品の特徴である遠近法の倒置と宙に浮かぶ人物や動物の構図も、ここで明確に打ち出されている。
 牛の乳を搾ろうとしてバケツを持った女の首が切り離され宙に飛んでいるのは、言語における比喩的表現の形象化で、なにか夢想に動かされている様子を表したものだというような解説を、どこかで読んだ記憶がある。
 この牛に使われている赤色・・・この赤色がどんなものか、写真ではなく実物を視て感じとる価値がある。
 この作品はシャガールのパリ時代の傑作と言われているが、まさにここにおいて、シャガールは自ら<ロシア・アヴァンギャルド>を体現していると看做しうる。

 この章でこの他に印象的だったのは、日本ではあまり聞かないキュビズムの彫刻家の作品だった。アレクサンドル・アルキペンコ「ドレープをまとった女性」(1911・ブロンズ)、ジャック・リプシッツ「ギターを持つ船乗り」(1914‐1915・古色をつけたブロンズ)などである。

 第3章 ロシアへの帰郷
 1917年、ロシア革命(10月革命)が起こる。1918年、シャガールは故郷のヴィテブスクに美術学校を設立し、その校長となることを依頼され、これを受ける。彼はモスクワやペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)から芸術家を招聘する。この中に、カジミール・マレーヴィチ(1878-1935)やジャン・プーニー(1892-1956)ら、ロシア・アヴァンギャルドの旗手がいた。
 本美術展の公式HPの解説には「1919年10月には、シャガールはカジミール・マレーヴィチを招来したが、マレーヴィチのカリスマ性に魅了されて学生たちはシャガールから離れた。美術学校は、具象的表現を消滅させ、幾何学的な淡色を通じて『無対象の感覚』を与える『スプレマティズム』を追究する実験室となった。(中略)1920年、シャガールは静かに故郷を去り、モスクワへと旅立った。」とある。
 ただし、ネット上には、シャガールがマレーヴィチと対立して美術学校を辞したかのように書かれた年譜もあり、“静かに故郷を去”ったかどうかは定かではない。
 ところで、前記の解説も指摘しているが、面白いのは、この章に展示されているシャガールの「立体派の風景」(1918‐1919)という作品である。これはまるでマレーヴィチの作品だ。
 シャガールと“ミスター・ロシア・アヴァンギャルド”とでも言うべきマレーヴィチの関係は如何なるものだったのか、興味が湧くところだ。

 なお、この章には、ジャン・プーニーの作品、すなわち半立体的素材の組み合わせで構成される「コンポジション」と名づけられた作品(アンサンブラージュ)がいくつか展示されている。また、マレーヴィチが1920年代に制作した「シュプレマティスム・アーキテクトン」という巨大建築物の模型を、1989年にポール・ペダーセンが複製した作品も展示されている。
 これらは、一見しただけでは、とうてい面白い作品とはいえない。とくにロシア・アヴァンギャルドの建築デザイン作品をある程度纏めて観ていないと、どこか意義深いのか理解しづらいと思われる。(本ブログ「ロシアの夢」展の項を参照されたい。)
また、ロシア・アヴァンギャルドを代表するもうひとりの雄、ヴァシーリー・カンディンスキーの作品も展示されているが、ここにある作品たちは具象的な風景画であり、カンディンスキーのアヴァンギャルドたる面目を見て取ることができる筋合いのものではない。
 この美術展で展示されている僅かな前衛的作品をだけを観て、革命前後のロシア・アヴァンギャルドへのイメージを抱き、それとシャガールの相違・対立の理由を想像するのでは、なんとも貧相な話になりそうである。
 シャガールとロシア・アヴァンギャルドの“出会い”・・・それを表現することが、この企画展が「野心的」を自称する根拠である。たしかに、“出会い”については比較的よく提示されているのだろうが、では、シャガールがロシア・アヴァンギャルドの担い手たちと“別れ”たようにみえることへの言及(そしてその事情の追究)は、至極不十分なものに止まっているという印象を受ける。
 ・・・おっと、こんなことを美術展(を企画するキュレーター)に求めるのは無理な注文だろうか。


 第4章 シャガール独自の世界へ
 この章では、シャガールの代表的な作品、その大作をいくつか観ることができる。
 もっとも、ここに展示されているのは、1930年代後半以降、とくに40年代以降、パリからアメリカへ亡命した後の作品であり、ちょうど1920年から30年代半ばくらいまで10〜15年ほどの間の作品が含まれていない。

 じぶんの印象に残った作品は、「赤い馬」(1938‐1944)、「虹」(1967)、「イカルスの墜落」(1974/1977)などである。
 記憶によれば、「赤い馬」の赤は、あの「ロシアとロバとその他のものに」(1911)の牛の赤とは違っていたように思う。
 「虹」は、その地がやや朱色味を帯びた赤で塗りこめられ、そこに白い帯のような虹が描かれている。この赤の地が観るものの神経を逆なでするので、シャガール作品としては珍しく“喉にひっかかる”という印象を受けた。80歳の作品であるが、枯れているという感じがまったくしない。この作品が制作された時代の影響であろうか、メルヘンチックなシャガールではない。名画でないところもいい。
 晩年の代表作と言われる「イカルスの墜落」は、これまでも印刷物などで視た憶えがあったが、やはり実物から受ける印象は全く異なっていた。
 画面の地は全体として白い印象で、しかもそこに描かれた人々は、想像していたより淡い色づかいで構成され、全体として“光”を表現しようとしているようにみえる。その筆致の迫力の低度は、いわば作者の老いが染み出してきたもののようにも思え、またシャガールの絵画の構図としては異例で、まともすぎる(遠近法の倒置も目立たないし、墜落しつつあるイカルスを除いて、宙空に浮かんでいる動物や人物は存在しない)のではあるが、そのどこかしら枯れた筆致(あるいは、断念した筆致)には、どことなく惹き付けられる。
 
 第5章 歌劇「魔笛」の舞台美術
 1964年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場は、その杮落とし上演の歌劇「魔笛」の舞台美術と衣装のデザインをシャガールに発注する。その注文に応えて制作されたデザイン画が、この章の展示物である。
 夜の女王、タミーノ、パミーナ、パパゲーノなどの登場人物の衣装デザインは、如何にもシャガール的で目を引くが、やや距離をとって眺めると、今なら美大生や服飾デザイン専門学校の生徒でも描きそうな感じがしてしまう。
 このなかで比較的面白かったのは、「動物たちのバレエ」と題された、まさに“シャガール風「鳥獣戯画」”という感じで描かれた動物たちのキャラの絵だった。
 ところで、この章には、実際に制作された舞台美術と衣装を用いて上演されたときの舞台写真も展示されている。公演は1966年ころだったようだが、この舞台写真は残念ながら白黒だった・・・カラー写真を見て、デザイン画と比較検証してみたいものだと思った。

 この美術展に展示されている1910年代から〜1960年代までの作品からは、想像していた以上にシャガールのダイナミックな力動性が感じられた。観る価値のある企画だと思う。                      (了)                                                                                                                                                                                  



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 10:17Comments(0)美術展