2010年02月02日

吉野弘の詩 「I was born」 について




  このHPで、「山形詩人」68号その他と合わせて、同誌の同人である万里小路譲著『吉野弘 その転回視座の詩学』(書肆犀)の紹介をしようとして内容を読み進んでいたら、そこに収録されている吉野弘の詩「I was born 」について考えさせられたことがあったので、今回は、むしろそのことを中心に記しておきたい。(「山形詩人」等の紹介は、次回掲載。)

 万里小路は、吉野弘の詩作品を書かれた順番と作者の経歴に即して「転回視座の詩学」という観点から、吉野の詩作の流れを、主に次のように了解する。
  ?<労働者>から<詩を書く人>へ
  ?<否定>から<肯定>へ
  ?<緊縛性>から<開在性>へ   ・・・・の超出
 そして、「I was born 」については、「<私たちは、なぜ生まれるのか>という問いが作品の基底にあり、そしてそれに回答があるようには思われない。」と述べつつ、吉野弘の詩作品を<超出>というキーワードでとらえ、「実存とは、いまここから次のいまここへと超え出ることである。」というふうに、これを存在理由や実存を問う作品だと看做して語っている。
 じぶんは、吉野弘のよい読者ではないから、ここで万里小路の議論にまとまった対抗軸を提出する準備も意欲もないが、ただ、「I was born 」について、彼が述べるのとはちょっとちがった視方がありうるだろう・・・とは思った。


 英語を習い始めて間もない頃(思春期)の作者が、父親と歩いているとき、向こうから歩いてきた妊婦を見て、その腹の中の胎児を想像する。そして、<生まれる>ということが英語の構文では<受身>である訳をふと諒解し、その思いつきを父に語る。
すると父は、自分が思春期のときに抱いていた疑問を語ってみせるかのようにして、口が退化して餌も採れない姿で生まれ、2、3日で死んでいく蜉蝣の雌が、その体内にぎっしりと卵を充満させているという話をしたうえで、そして、作者に、母親がお前を生んですぐ死んだのだと知らせる。そこで少年は、「―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―」(最終行)というイメージを灼きつける。・・・これが「I was born 」の梗概だ。

 端的に行ってしまえば、「I was born 」という作品の勘どころは、思春期の少年が<生>=<性>に対して抱く慄きのリアルさにある。・・・それは、自分がなぜ存在しているのかというような哲学的な問い(いいかえれば実存的な問い)の悩ましさというよりも、ひとまずは、きわめて切ない命の感受であり、そして強くて醜い情欲的な震えのようなものだ。
 そして、その慄きは、すぐさま、「I was born 」という構文が隠蔽しているもの、すなわち「だれによって産まれたのか」という本質的な問いを抉り出す。それは、自分を産んだ存在=母への憧憬と畏れとに、少年を直面させる。その生々しさが、この作品の命だといえる。

 作者は、父の言葉を借りて、自分を産んですぐに死んだ母と自分を、蜉蝣とその体内の卵のイメージに仮託して、心に焼き付けた(ということにした)。
 しかし、名作といわれる作品「I was born 」の問題は、ここにある。ここには、要するに、作者によるレティサンス(故意の言い落し)があるのだ。

 命は、次ぎの(すなわち継ぎの)命を生み出すためだけに、“切なく”存在している。・・・もし、そう認識する(だけ)なら、たしかに「<私たちは、なぜ生まれるのか>という問いが作品の基底に」孕まれるということになるだろう。そして、だがしかし、その回答は、「あるようには思われない」どころか、問い自体の出所地に、すでに存在している。この問いを自ら問い、この問いに自ら答えた者は、むしろある意味ではすっきりするのであり、ひたすら原始仏教の、放浪する修行者のように歩めばいいだけだ。

 「I was born 」という構文をつぶやいた瞬間、この構文が隠蔽しているものが立ち上がってくる。それは母という存在だ。吉野弘の「I was born 」は、その母という存在を、きわめて肉感的で映像的に描いているようで、その実は、“棚上げ”している。
 蜉蝣の姿の想像によって焼き付けられたのは、母をふさいでいた「白い僕の肉体」であり、母それ自体の姿ではない。ここでは、母は、子=作者自身のためにだけ存在するものとして描かれている。
 いいかえれば、作者は、自らの出生に関する想像から、母の具体的イメージ(というよりも母の具体的イメージの欠損)を故意に言い落し、これを、次ぎの命を生み出すためだけに、“切なく”存在している命の普遍性へと“超出”させてみせた。ようするに、ひとつの、自らに対する“嘘”を鮮やかに演出したのである。

 たとえば、このじぶんにとって、吉野の「I was born 」に描かれた蜉蝣とその体内の卵のイメージに対応するものはなにか。
 じぶんにとっては、手術で摘出された母の胃袋に突き刺さっていた、エイリアンの卵のような形状の、鶏卵ほどもある高分化型のがん細胞こそが、それにあたる。
 ひとりの女に孕まれつつ、その親に寄生して増殖し、内側から侵襲して死に至らしめる存在こそが子のイメージであり、じぶんのイメージである。逆に言えば、ひとりの女が、自らの体内にいつしか発生させる“悪性新生物”こそが、子に他ならない。そのイメージは、具体的な体験に根ざすものであり、他のどんな形象にも仮託されない個別具体的な表象である。そして、その自己イメージは、明らかに“じぶんの母”というひとりの女の具体像を伴って成立している。
 「I was born 」は、こうした具体性を巧妙に隠蔽している。「I was born 」が名作なのは、それが自らに対する“嘘”を鮮やかに演出した作品だからである。


 さて、ここで、少しだけ万里小路の著作に戻ると、この著者は、吉野の作品を(吉野の作品だけではなく、彼が批評の対象とする大方の作品を、というべきかもしれないが)、ハイデッガーやサルトルやフッサールの観念の方から見ようとしている。
 しかし、「I was born 」の解釈について、どこかから範疇を借りて語るなら、実存主義や現象学よりも、むしろユングのいう元型(アーキタイプ)のひとつ、つまり<グレート・マザー>という概念を参考にした方がいいような気がする。
 元型とは、人間が普遍的に集合的無意識としてもっている固有のイメージであり、<グレート・マザー>は、その中のひとつで、まさに“偉大な母”というべきものである。
 しかし、この偉大な母には、子を産み、慈しんで育てるという側面と、子を束縛し、飲み込んで破滅させるという側面がある。
「I was born 」に描かれた蜉蝣の雌の姿は、まさに二重性としての<グレート・マザー>である。それは、子を産むために全存在をかける生きものだが、そのことで産まれてくる子に、たじろぐほかない宿命を、つまりはその子もまたさらなる子のためにのみ存在せよという、どうにもやり切れぬ破滅的な宿業を負わせる生きものでもあるのだ。
 「I was born 」は、まさにこの二重性への慄きを表白した作品と見なすことができる。

 おっと、しかし、われわれはこんな強迫観念にまともに囚われる要はない。
 われわれは、幸か不幸か、あらかじめ本能の壊れた生きものとして産み落とされるところの、次ぎの世代を産むためだけに存在することを、とうにやめてしまった種だからである。
                                                                                                                                                                                                     

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 19:03Comments(3)作品評