2008年08月17日

映画「実録・連合赤軍」について



 今年の春、この映画を山形フォーラムで観て(上映に続いて若松孝二監督のトークや質疑応答もあった)、それについてなにかここに記そうとして、ずいぶんと時間が経った。
 この映画の印象を記すこと・・・それは、じぶんの、いわゆる「連合赤軍事件」についての考えを述べることを除いては成り立たないと思われた。
 ずいぶん昔に読んだ笠井潔『テロルの現象学』を引っ張り出して、あれこれ考えながら読み直してみたが、映画「実録・連合赤軍」にも、『テロルの現象学』にも不満で、とうてい言いたいことを旨く言えるような気がしなかった。
 そんなとき、奈良の安田有さんが主宰する『coto』16号が送られてきた。
 そこで安田さんが書いた「『実録・連合赤軍』を観る」という文章に触れて、こうして少し書き付ける気になった。

 安田さんは、森恒夫が同じ文学部の先輩だったということで、大学のキャンパスの芝生で森恒夫によく議論をふっかけていたとか、デモで一緒になったとか、そんな思い出を記している。
 じぶんは、安田さんよりちょうど10歳年下で、ということは、いわゆる「全共闘世代」とか「団塊の世代」とかいわれるひとたちから、10年遅れてきたということになる。
 1972年冬の「浅間山荘銃撃戦」を、中学生のじぶんもテレビで“観戦”した方だが、その印象は薄い。むしろ、「連合赤軍」という言葉を聴いたとき、じぶんに浮かぶイメージは、掘り返された穴の底にテープで模られた人型の図形であり、東北の田舎町であるじぶんの故郷の、あるスーパーのレジにいるという陰気な女性の姿である。前者は “総括”へ至る思想的・心理的倒錯のひたすら暗いイメージを、後者は“転向”とその後の生活のイメージを表しているかもしれない。

 1968年から始まる学生反乱の時代に、少しませた小学生のじぶんはどんな観念を抱いて生きていたかというと、それはだいぶ特殊な切迫感を伴ったものだったような気がする。
 じぶんも、高校を出たらたぶん都会へ出て行く。そしてそこであの運動に加わる。学生時代の数年を闘争に捧げ、とにかくそこで命を燃焼させる。あとは、ほんとうに命を失うか、でなければ心身に大きなダメージを受けて廃人のようになるか・・・。助かったとしても、後の人生は余生として過ごす・・・これがじぶんの人生への展望だったのだ。
 ちょうど、戦中の少年団員が、国のために特攻隊で死んでいく年長者を見ながら、じぶんも近い将来にそうするのだと希求するような想い込みがあったような気がする。その心的世界は、大江健三郎の小説「芽むしり仔撃ち」に表現されているものと近しい。
 しかし、じぶんが大学へ入った1976年には、もう学生運動の退潮は決定的であり、党派も激しい内ゲバを経て大衆とはかけ離れたものになっていた。かろうじて成田闘争が盛り上がりを見せている風だったが、未熟なじぶんにも、成田闘争が本質的には政治的にどんな意味ももたないものであることが見え透いていた。
 “特攻隊”観念(それは笠井のいう<集合観念>に近いが・・・)を抱いていたじぶんは、決定的に時代遅れで、呆れるほど滑稽な存在だった。

 「連合赤軍事件」といわれる連続同志殺害事件について、すこしはまともに考えてみたのは、30代も半ばを過ぎてからのことだったと思う。
 永田洋子の『十六の墓標』上下巻を、幾晩もかけて涙を流しながら読み進み、笠井潔『テロルの現象学』にいう<自己観念>や<党派観念>について、幼いころのじぶんの心理的な来歴と照らしながら考えを巡らすというような夜をいくつか過ごした。


 安田さんは言っている。長い引用になるが、大事な部分なので許されたい。
 「森恒夫は、共産主義化という純化された倫理に促されるように、総括という同志の処刑に手を染めていく。森は、まるで自らの持つ弱さと同じものを他者(同志)のなかに見出し、その弱さを殺す(つまり結果として他者を殺す)ことによって、指導者として自らがまず強くなろうとしたのだと、わたしには映った。山岳ベースという閉ざされた空間で集団催眠にかかったように歯止めなくリンチ殺人が繰り返されていく。明日の犠牲者はわが身かもしれないという不安や猜疑心に襲われながらも、全員が加担していく(加担しなければそれがまたそれが批判・総括の対象になる)。集団心理のおそろしい罠に嵌ったかのように。誰も逃げ出さそうとしない。組織(党)の維持、いやそれ以上に革命のため、銃撃戦のために、である。
 浅間山荘に籠城しての銃撃戦が始まる。兵士の一人の、死んでいった者たちの分も銃撃戦で戦おう、という発言に反発して、一番年少の兵士(彼の兄も総括の犠牲者)が叫ぶシーンがある。『いまさらそんなこと言ったって遅いんだよ! みんな勇気がなかったんだ!』。
 ここでの<勇気>とは森ら幹部を批判する勇気であり、リンチ殺人を身を挺して止める勇気であるだろう。また監督のメッセージが込められた叫びであるように思えた。(わたしはそこに逃亡する勇気、転向する勇気を付け加えたい気がする)。ではどうしてそのことが不可能であったのか。現在からはなかなか信じがたいことであるが、それは彼らが共産主義、党、革命そういった諸々の言説(イデオロギー)に深く縛られていたからである。つまり批判することが革命放棄につながる<弱さ>であると考え(心理規制)られたからである。」
   ↑ママ

 ここに引用した安田さんの言葉は、いくつか勘所をついているように思われる。
 “勇気がなかった”というのが監督の込めたメッセージだという指摘はそのとおりだ。若松監督自身がそう発言している。そして、事件に関しても、たしかにそこはそのとおりなのだろうと思う。

 さて、映画に併せて作成された書籍『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(朝日新聞出版)には、「総括」の具体的な過程が整理されて記録されている。
 「総括」は、それがエスカレートしていく過程で、次第に政治思想的な意義を失い、また裏切り者の抹殺という実際的意味さえも逸脱して、異常な集団心理、精神分析的な源をもつかのような転移的私怨、さらにはSM的な色彩をさえ帯びてくる。
 スターリン主義的な党派観念の下での恐怖や思考停止による追従も、もちろん大きな要因だ。当然、森や永田の個人的資質の影響も少なくないだろう。
 しかし、若松監督の映画作品としての「実録・連合赤軍」は、この事件の本質をいまひとつ明らかにできていない。

 若松監督の発言を聞いていると(それは山形フォーラムにおける上映後のトークでも、上記の書籍に収められた対談でも同じだが)、簡単に括ってしまえば、かれは連合赤軍事件を以下のように総括しているようにみえる。
 つまり、かれら連合赤軍の若者たちは、まじめに社会変革に取り組もうとして、道を誤ったのだ。それは、ひとつには指導者が悪かったからだ。(なにしろ赤軍派の幹部は大菩薩峠でほとんど逮捕されてしまっていた。)
 そして、“カミソリ”後藤田正晴警察庁長官が率いる警察権力のシナリオに従って泳がされ、追い詰められ、異常な心理状態に至らされて、結局は「左翼は悪い奴らだ」という印象付けのために利用されたのだ・・・と。
 このことを踏まえて、若松監督は、あさま山荘で少年に叫ばせるセリフに、集団心理に身を任せることなく、恐怖を乗り越え、勇気をもって本当の闘いへ向かえというメッセージを込めている。

 じぶんは、この見方はあまりに薄っぺらだと思う。ただし、この映画にその視線がみてとれるように、当時の若者たちを抱擁しようとし、それを後代に伝えようとする(団塊の世代より上の)年長者の存在は、この時代にあっては、とても貴重だとも思う。
 それを感じ取った上で、あえて奇妙な言い方で言わせてもらえば、連続リンチ殺人事件としての連合赤軍事件の本質は、一生懸命お勉強をして大学に入った生真面目な、そして不器用な人間たちによって引き起こされたところに存在するのだ。
 つまり、若松監督のような、良い意味で自由人的な感性と経歴の持ち主には理解できない部分がある。それこそが問題なのだ。

 ところで、安田さんは、その暗い部分を、引用部の最後のところで指摘している。
 かれらはイデオロギーに縛られていたからだ・・・と。
 でも、やはり、これだけではまだ足りない。

 なぜ“共産主義化”という観念が生まれたのか。
 共産主義化とは、じぶんなりに言い直すと、暴力革命の達成という目的のために、党と党員個々人を、現在の支配権力(というよりはむしろ自分たちをめぐる状況)に“絶対に負けない”強固な心身として組織することだ。
 しかし当面は、党派としては敵に対して物理的にまったく敵わないし、党員個々人だってサイボーグ009みたいに超人的な身体能力を持てるわけではないのだから、共産主義化とは、ようするに、精神的に強くなること、そして強くなれるという信念を持ち続けることなのだ。
 圧倒的に不利な状況のなかで、拠るべきもの・・・それは、日本人(というかアジア人)お得意の、集団的精神主義だ。だが、笠井潔がいうように、その精神主義が、“弁証法”という心理機制をもっていたところが、より深刻な事態を招いたのだと思う。

 そう。笠井は、たしかに「弁証法」という言葉を使っていたと思う。
 弁証法とは、もっと多様で豊かな方法であり、ここで過ちの根源みたいに指名手配するのは可哀想だが、しかし、この言葉(のここでの用法)は、たしかに旨く連合赤軍事件の心理機制や観念の肥大化の在り様を言い表していると思われる。
 論旨が混乱するので、もう笠井の『テロルの現象学』には拠らない。
 「弁証法」ということばで言い表されようとしていることは、程度の低いオツムを捻ってじぶんなりに述べてみれば、以下のような事情だ。

 ここで弁証法とは、一言でいえば、対立物あるいはこちらを否定してくる要素を自らに取り込んで、それを飲み込みながら肥大化していく観念の運動性である。
するとこの場合、対立物、否定要素とは何であったか・・・。

 「総括」は、まず、銃の扱い方がぞんざいだとか、山越えの際に水筒を忘れてきたとかいうミスに対して始められる。次に、化粧をしているとか、男女関係があるとか、戦士としての気の緩みに向けられる。また、警察に逮捕されたときの対応だとか、幹部の意向に沿わなかったとか、逃亡の恐れがあるとか、他者の総括=リンチに真剣に取り組まなかったとかを理由として、いわば組織統制のために行われる。そして、やがて指導部を裏切る可能性のある者(つまり、かつて現在の指導部に成り代ろうと考えたことがある者)への“粛清”(処刑)に至る。
 「総括」は、まず言葉による告発により、次に正座や労役という教育的強制により始まるが、やがて運動部的な暴力による“カツ”入れへと強化され、次にロープによる拘束と野外への放置という制裁へとエスカレートする。さらにその先に、指導者の明確な意図により行われた処刑すなわち粛清があった。
 「共産主義化」を勝ち取るための「同志的援助」として始まったはずの「総括」は、制裁の意図と未必の故意による刑死、そしてはっきりとした殺害の意図をもった粛清まで、不分明に繋がっている。

 安田さんは、森恒夫は、自分の弱さを他者に見て、他者の弱さを潰すことで自らが共産主義化を成し遂げようとしたのだと言う。
 しかし、じぶんなりに言い換えれば、森は(そして積極的に「総括」に加担した者たちは)じぶんの弱さを相手に見ていたばかりではない。相手の弱さを観念化し、じぶんに取りこもうとしていたのである。

 他者の弱さという対立物や否定要素は、やがて自らに取り込まれ、「総括」によって乗り越えられる。
 しかし、ここでその観念の倒錯的な運動が止まることはない。共産主義化という弁証法的性向は、その肥大化・汎溢化の性向によって、次の対立物、否定要素を探し続けなければならない。たぶん、次なる対立物は、目前で呻き、苦しむ人間に対して抱く同情や憐憫や迷いであるだろう。そしてやがては、それらに考慮を払わず、「総括」や粛清で同志の命を奪っていく党の苛酷さや穢れ・・・それらの否定的要素さえもがこの弁証法的性向の養分とされていく。
 これからは「銃による殲滅戦」を戦わなければならない。人の死という対立物(敵と味方の両方の死)を乗り越えなければならない。いわば、それらの対立物や否定要素を血肉化し、自らに取り込んで自分を豊饒化し、強化するのだという、その観念的自己膨化・・・。

 たしか、妊婦だったある女性同志を「総括死」させるところで、その女性が「総括」に耐えられずに敗北死するのは彼女が弱かったからだが、その胎児は彼女とは関係ない(彼女のものではない=“われわれ”のものである)から、彼女から“奪還”しようとする場面が(たぶん『十六の墓標』に)あったと思う。
 この場面はとても象徴的だ。観念の弁証法的な自己膨化は、自他の世界の区別、可能性と不可能性の区別を、“止揚”している。
 指導部のナンバー1であった森恒夫と、ナンバー2であった永田洋子の「共産主義化のための“結婚”」も、その視点から捉えられる。
 森には妻子がおり、永田も、連合赤軍として行動を共にしていた坂口弘を夫としていた。世間的に言えば、W不倫の末の略奪婚ということになるが、これを倫理的な観点から批判しても無意味なばかりでなく、他の同志の恋愛関係を「総括」の理由にしてきたくせに・・・と、そのダブル・スタンダードを批判してもナンセンスだ。ここでは、革命党の指導者としての存在たる二人と、男女関係にある二人との対立が“止揚”されている。

 観念が、すべての対立物、否定的要素を飲み込んで、肥大化している。
 連合赤軍がやっていることは、山の中を逃げ歩き、次々と同志を殺し、その死体を埋めることだけだ。
 だが、この観念の弁証法的な自己膨化により、自他の世界は輪郭を失い、内向的“革命”が進行する。・・・観念にとって、革命とは、すべてを奪取することだから。
 連合赤軍事件は、このことを、まるで実験室で行われた観念実験のように“表現”してしまったのである。


 ここで私が書き記したことは、たぶん多くの人には、理解されないだろうし、むしろ理解されない方がいい。
 また、笠井潔の「弁証法」に関する論及を、じぶんなりに勝手に敷衍(歪曲?)して述べているので、関心のある人は、『テロルの現象学〜観念批判論序説〜』(1984 作品社)を読んでみてほしい。
 それから、これもあえて記すが、永田洋子の『十六の墓標』は、日本文学史に残すべき作品だと思う。
 
 私は、どちらも、もう、あまり読み直す気になれないが・・・。  (了)                                                                                                                                                                                      



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:42Comments(0)映画について