2007年12月31日

さらば、2007年!




 極私的に2007年という年を振り返ってみると、3冊目の詩集を出版したことのほかに思い起こされることはふたつ。
 それらは、普段“お気楽”を旨として生活しているじぶんにとって、それを掣肘してくる要素でもある。

 ひとつめは、初夏ごろからいわゆる“四十肩、五十肩”という症状が出て、その後、肩から腕の痛みが引き続いていることである。
 昨年の12月から、天候がすぐれなかったり風が吹いていたりすると、それまで続けてきていたロードのジョギングをずいぶんサボるようになってしまったので、フィットネス・クラブへ入会し、そのジムに通うということを始めたのだった。
 冬の間もトレーニングできるので、週に2回ほど通ってトレッドミルの上を走り、筋トレも少々やって、6月には8〜9年ぶりくらいにハーフマラソン大会で完走できるようになった。
 しかし、夏頃から、両方の肩が痛くて、回らない・上がらないという“五十肩”状態が始まった。
 腕の筋トレを自粛して騙し騙ししているうちにこの症状は秋までに治まったが、この状態が改善するのと入れ替わるように右腕・右肩が痛むようになった。

 これも騙し騙して一進一退の状態だったのだが、そろそろいいだろうと思って、日常の作業で腕を使ったり、弱い筋トレを復活させた途端、夜も眠れないほどの痛みが襲ってきた。
 地元で有名な整形外科へ通って、塗薬や経口の消炎鎮痛剤を処方され、リハビリに通うように言われて何度か通ったが、そのうち我慢できる状態になったので、サボり・・・・よくなったかなと思ってまた筋トレと日常作業をしたところ・・・と、この繰り返しをしてしまい、ついには二日ほど一睡もできない痛みに呻くことに。
 (おそるおそる筋トレしたのだが、一日おいても痛みが現れなかったので油断したのだ。・・・歳とると筋肉の疲労が時間を置いて炎症になるということか・・・)

 この痛みは、夜、床につくと酷くなった。
 三角筋、大胸筋、上腕二頭筋、上腕三頭筋などが代わる代わる痛み、あるいは重苦しい状態が続く。
 整形外科のリハビリを受けた日はやや軽快するが、毎日通うこともできず、ちょっとした作業をした程度でも状況がやや悪化する。パソコンのマウスを動かすときも、上腕筋に緊張があって鈍く痛む。
 この二、三日も、大掃除などで腕を使ったせいか、夜に一、二度、苦しくて目が覚める。

 医師は病名をはっきり言わないが、写真のような薬を処方した。
 経口薬の「ボルタレンSR 37.5mg」、塗薬の「ナパルゲンクリーム」(1g中フェルビナク30mg)、そして眠れないときのために座薬の「ボルタレンサポ 50mg」。
 この「ボルタレン」という座薬は、消炎鎮痛剤として一般的なのだろうが、末期がんの義母が使用していたので、そのときのことがフラッシュバックのように蘇った。
(義母が胃がんの再発を宣告されてから、亡くなるまでのことは、第二詩集『母を消す日』(書肆山田、2004年刊)の冒頭に入れた「かあさん、あなたが消えていく」という長編詩に書いた。)
 ああ、これは癌の痛みに(モルヒネを使う前の段階で)使う薬でもあるのか・・・そう思うと、これはまだ使えないな、などと使用せずに我慢している。(苦笑)


 ふたつめは、これも詩と絡むのだが、第三詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田、2007年刊)に収めた「骨髄ドナーは呻き呟く」という作品で取材している骨髄ドナーに関して。
 昨年(2006年)の春、もう忘れかけていた骨髄バンクからドナー候補に選ばれたという通知が来て、迷った末に引き受けるという決断をし、面談や大学病院での精密検査まで進んだのだが、結局その秋に「保留」の通知がきて、やがて「患者側の都合でコーディネイトは終了になりました」との連絡がきたという話・・・これを詩のネタにした罰が下ったのか、今年(2007年)の秋、また当選通知がきたのである。

 昨年、血液の精密検査を受けているので、じぶんは白血球のHLAのDNAタイピングまで行っているわけだし、今回は「迅速コース」ということで3ヶ月程度で移植手術までいく予定だということだったので、都合など考える間もなく“今度は覚悟しなきゃいけないか・・・”と受諾を決めたのだった。
 しかし、今回も、職場に説明して了承を得た後で、やはり「第一候補のドナー」のスペアとして「保留」となった旨の通知がきたのである。

 移植した骨髄はレシピエントの体内で増殖しなければならないのだから、年齢を考えればもっと若いドナーの方が望ましいはずである。
 だから「保留」続きの身の上をどうこう言う気はないが、やはり引き受けるには心の準備もいるわけで、その準備に少し疲れた・・・。(苦笑)

 余談だが、今回は、大学病院で検査時の面談をした医師の態度に不快な想いをした。
 いかにも骨髄バンクに頼まれて協力してやっているという態度で、ドナー候補への敬意など微塵ももっていないようだった。
 「やっぱり、どうしても尿道にカテーテルを入なければいけないのでしょうか?」と聞いたら、「入れられたくないなら、今ここでコーディネートは終了だよ。」などと横柄な物言いをし、血液採取をしていると脇で「身体が丈夫そうだから、今度はドナーに選ばれるでしょう。」などと、まったく人を臓器の入れ物みたいな目で見やがった。
 「おれはおまえの『患者』ではない!」と言ってやりたくなった。
 ところが、この間、その医者と前記のフィットネス・クラブで一緒になった。もっとも向こうは気がついていない。
 ひと月の会費が5,000円の大衆的なクラブなんだが、医者はもっと高級なクラブへ行け!とケツを蹴っ飛ばしてやりたくなった。(笑)

 山形は、雪の年越しになった。

 では、よいお年を。

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 17:49Comments(0)徒然に